2013/03/28

Big Boys Cry/安室奈美恵



日本離れするJ-POP


 よく音楽評などで「日本人離れ」という形容を目にするが(特に若手のロック・バンド評に多く大抵はロクなもんじゃない)、本作はどちらかと言うと「日本離れ」した作品である。

 イントロから登場するエスニックな笛のサンプルとモダン・ヒップホップ譲りのキックドラムのコンビネーションを聴いた時点で、この音楽が近年の欧米のポップスのトレンドを意識して作られたものだということが分かる。後半に進むにしたがって盛り上がって行くマーチング・バンド風のオーケストレーションは、ガーリーという意味で、作品の少しだけJ-POPの主流へと引き戻すが、大勢は変わらない。

 調べてみると、本作は少女時代なども手掛けるノルウェイのプロダクション・チームによるものらしい。そう言われてみると、前述のオーケストレーションには北欧ポップス的なトイ・ポップ感覚もあるような気がする。何にせよばっちりキマってる。


 90年代にJ-POPという言葉の定義を決定付けたフィメール・アイコンの「日本離れ」はサウンドだけに留まらない。歌詞もほとんど英語である。はじめて聴いた時も、何を言っているのか全然分からなかったが、歌詞カードを読んだ今でもやはりよく分からない。単にこちらのリスニング能力や彼女の発音だけの問題ではない。歌詞自体が、言葉遊びや響きの方に重きがあって、「意味」を聴かせるものではないのだ。

 では、まったく意味がないのかというとそうではない。その歌詞は実にシンプルなポスト・フェミニズム的なメッセージで、要約すると『私はやりたいようにやるわよ。最後には大きな男の子達を泣かせちゃうんだから』という感じである。

 このメッセージから浮かんで来る「強くて可愛い女の子(35歳)」というイメージは、近年の安室奈美恵のイメージそのものだろう。それと同時に、前述のマーチング・バンド風のアレンジも含めて、本作はビヨンセの"Girls Run The World"や少女時代の"The Boys"といった、「女性優位の時代の猛々しい行進曲」の系譜に連なる作品だということにも気が付く。

(そう言えば、それなりに年齢を重ねている彼女らが、みんな揃いも揃ってWomenではなくGirlを使うのは何故なのだろう?)

 しかしこのメッセージの内容すらも、モテという庇護願望の拡大によって、21世紀の新潮流と呼ばれた「女性優位の時代」を逆行しつつあるこの国から、離れていっているような気がする。しかも前述したように、その歌詞自体が直接は聞こえないのだから、念の入ったブラック・ジョークのようにも感じる。


 そもそもJ-POPという音楽自体、(現在では意外にすら感じられることだが)ある種の洋楽志向から生まれた音楽である。その意味では、彼女は一貫して「日本離れ」する印象をアピールすることで勝負してきたと言える。その背中に、鼓舞されるのか、置いてけぼりを食らったように感じるのか、あるいは自分に関係のない世界の出来事だと感じるのか。

 その選択があまりにリスナーに委ねられているがゆえに、本作は意味がないと言えば意味がない。しかしその意味のなさが手伝って、この曲はチャートに並んだ他のどの曲と比べても、別格に軽やかなのだ。




(PVは45秒の短縮版)


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