2013/08/30

AKB48/恋するフォーチュンクッキー




「国民的アイドル」を本気で目指すAKB48


 アイドル「帝国」AKB48。代名詞ともなり、地上波で生中継されるまでとなった選抜総選挙、今年はよもやとも言えないほどの圧倒的な得票数で指原莉乃が1位となり話題になった。選挙後、プロデューサーの秋元康は「大島優子、渡辺麻友が1位になった時の曲は考えていたが、指原1位の曲はこれから考える」といった発言をしていたけれども、そうして発表された『恋するフォーチュンクッキー』は大島の曲よりもまゆゆの曲よりもはるかに素晴らしいものとなったと断言する。この曲には「国民的アイドル」というコピー先行に見えた言葉を地で行くような普遍性があるからだ。


 4ビートのリズムの上をファンキーなギター、ぶいぶいと拍の裏を取りながらルート進行するベース、トランペット風のシンセと曲の端々でアクセントのようになるストリングス風のシンセ、ハモリの用とひゅーひゅーと盛り上げるようなコーラスと様々な音が賑やかに鳴る「恋するフォーチュンクッキー」。リズムはシンプルだが上に乗る楽器がディスコぽい構成はいわゆるJPOP直前の歌謡曲そのものだ。(順位に対応して露出が増えるというコンセプト上、各メンバーの声は聞き分けられるし、音数自体の情報量も多いので、そこは今っぽいのだけれども)どこかヘタレで後ろ向きな女の子が少しずつ前向きになっていくラブソングは、指原を当て書きしたものだが、それはつまり「普通の」感情を切り取ったものだ。そういった歌を親しみやすいディスコ歌謡が持つ多幸感に乗せAKB48の多数のメンバーで増幅する。この曲に新しさはない。ただ、40代にも50代にも60代にも届くような間口の広さ、お祭り感がはっきりとある。

(小林 翔)


グループアイドルの限界が露になってるような気も・・・


たしかTBSの『音楽の日』が最初だったと思うけど、発表時から主に音楽オタク・評論家の間で話題騒然となったAKB48の最新シングル。「70年代ポップスあるいはフィリーソウルの影響を昇華したゴキゲンな一曲」という意見から「ダフトパンク新作へのJ-POP的回答」みたいな暴論まで、みんなが思い思いの感想を交換し合うのを、同じ音楽オタクとしてとても楽しませてもらった。ちょっと意地悪な言い方すると、普段それだけAKB48の音楽への期待値が低いことの証明なのかも知れないけど(笑)。

たしかに本作はみんなが「俺にもひと言いわせろ」状態になるのも分かるとても良い曲だ。ただ、良い曲であるがゆえにグループアイドルの限界が露になっているという気もする。好きな人がいるのに自分に自信が持てなくて告白できない女の子を主人公としたストーリーが持つパーソナル性が、何十人もの人が同じラインを歌うというAKB48特有のヴォーカル・スタイルによって、掻き消されてしまっているような気がするのだ。

指原のキャラ設定に忠実なだけで、掘り下げが足りない歌詞にも原因はあると思うし、『フゥー!』みたいなコーラスの下世話なパーティ感も本作の魅力をぼやかしている気はする。けど、やはり何よりも違和感を生んでるのは、サビのパートでのあのヴォーカル。「悲しい出来事忘れさせる」という歌詞が、半ば洗脳的なテレビCMを見てる気分にさせるような、あのヴォーカルなのだ。大型グループの宿命とか言えば聞こえはいいけど、こういう作品を前にすると、どうにもナンセンスに映ってしまう。何か良い手はないかね?

(佐藤 優太)

2013/08/23

サザンオールスターズ/ピースとハイライト



サザンオールスターズ復習用ニューシングル


5年間の活動休止を経て結成35周年のタイミングでリリースされたサザンオールスターズ『ピースとハイライト』。前シングルの『I AM YOUR SINGER』が丁度5年前の同時期にリリースされているが、それも2年ぶりのシングルで、要は結成30周年のタイミングであった。

柔らかなシンセの音から始まり、桑田のコーラスに続いてトランペットによるゆったりと展開していくようなテーマがメインのイントロに移る。隙間が多くボーカルが前に出たオールドクラシックなロック風のAメロ、サザンの曲に度々登場するカスタネットのカタカタという音が記号的に使われているようにみえるBメロ、一旦Aメロに戻ってからサビ。サビ後半部分で桑田は裏声に歌い方を変え、アクセントを加える。『ピースとハイライト』から漂うのはまさしく「サザンオールスターズが帰ってきましたよ」という雰囲気だ。ボーカル、ギター、ベース、ドラムといった一般的な4ピース編成に加えてシンセ、パーカッションが元々いるというのも理由ではあるだろうけれども、今作には上で挙げてきたように「サザンらしさ」が意図的に配置されているように見える。そうした曲をやや勿体つけたようなイントロで聞き手を期待させながら聞かせていく。5年間の空白をあっという間に埋めてサザンオールスターズを完璧に思い起こさせるような曲だ。

(小林 翔)


単純なメッセージ・ソングに終始しない、トリックスターの片鱗


エレピの5音による下降フレーズと、エフェクトが掛けられ浮かんでは消えるギター&ベースの音が、星の降る夜を思わせるパートから曲は始まる。3小節目からはコーラスが入ってくるが、幻想的な雰囲気は崩れない。そのコーラスが、後の間奏部への伏線という意味でも重要な音程の揺らぎと通過すると、スネアのアクセントを切っ掛けにイントロは次の段へ。ベースとギターの存在感がぐっと高まり、いよいよバンドは揃い踏み。勇壮なホーンに象徴されるロック・バンドの登場だ。

バンドの登場を盛り上げた後は、桑田圭佑のヴォーカルを引き立てるべく、ヴァースではシンプルなバッキングへと移る。ここで桑田が歌うのは(一聴すると)平和主義に裏打ちされた反戦/反米/政府批判のメッセージを込めた歌詞。こんな情勢だし、色々思うところあって歌詞を綴っているのは分かるが、内容はちょっと大雑把。更に言えば、サザンのようなエスタブリッシュメントが、完成度は高いがポップスのクリシェもたっぷりな王道的ポップ・ロックに乗せて、この手のメッセージを歌うことに、コミットできない人がいるのも分かる。

ただ、前言を覆すようだけど、この曲は単純なメッセージ・ソングに聴こえない部分があって、個人的にはそこが興味深い。特に最終コーラス「愚かな行為も」という歌詞が「愚かな恋も」と掛かっているように聴こえるのとか、邪推かなと思いつつ、過去の過ちを忘れる人の愚かさを絶望すると同時に、そこにニヒルなロマンも感じてるような、サーカスティックな感性/トリックスター的な複雑さを見るようで、ちょっと好き。なのでYouTubeで交わされてるあの手の議論とか、ほぼ100%意味ないよ!

(佐藤 優太)


2013/08/15

夏海/山崎あおい



爽やかに歌われる宙ぶらりんな感情


もちろん、人を好きになったことはある。しかし、その初恋は結局うまく行かなかった。それ以降、恋と呼べるほどの感情を抱ける相手はいない。そうこうしているうちにも夏がやってきて、クラスの友達たちはそれぞれの恋人と遊びに行く計画を立ている。嫉妬とは違う、どちらかと言えば失恋にも似た、仄かな寂しさがこみ上げてくる。そんな宙ぶらりんな感情を持て余したまま、しかし暗くならないよう気丈に振る舞う。山崎あおいが描く本作の主人公はそんな女の子だ。

『夏海』はこの夏のプチヒットとなっているけど、チャートの他の曲と比べてこの曲が突出したのは、「今年の夏もまたひとり~」という歌詞に象徴される主題の明確さゆえだろう。山崎の澄んだ歌声も、その歌詞の持つ切なげな感情を伝えるのに一役買っている。また、コブクロ等との仕事で知られる笹路正徳のプロデュースも、どうにも湿っぽくなりそうなテーマを持った曲に、明るく爽やかなフィーリングを補っている。

歌を支えるバックの演奏も良い。楽曲が進むに連れて細かくアクセントやフレーズを変えて行くのは、いわゆるポップスのクリシェとは言え、主人公の細かな感情の揺れを意識させつつドラマチックに楽曲を盛り上げている。特にラストのミドルエイト〜大サビ〜アウトロの流れには聴き所が多い。

この曲の完成度的には申し分ないけど、リリックを除くと山崎自身の個性が感じ辛いのが難点と言えば難点(本人も公言しているように、そのスタイルにはYUIからの影響が大きい)。また、彼女の武器である歌詞にしても、ちょっと説明的で野暮ったく感じる。テーマ設定における勘の良さみたいなのはありそうなので、それを曲に落とす技術が今後どうやって洗練されて行くのか気になる。


(佐藤 優太)


夏の海で草をはんで疲れた


札幌出身のシンガーソングライター、山崎あおいのシングル『夏海』。アコースティックギターを中心としたミドルテンポの曲にのせて「強いから平気って/また一人になりたがる私/疲れたみたい/今年の夏もまた一人」という歌詞の通り、夏の女の子の切ない気持ちを歌う曲。所々でみせる鼻にかけるような歌い方と、フレーズの最後を喉を絞るように発声する様はYUIの影響が感じられる。ただし、声の質としては山崎の方が伸びやかで丸みがあり、声量も多そう。

歌詞のモチーフ自体は誰もが共感させられざるをえないほど一般的なもの。加藤ミリヤや西野カナが(渋谷という街のイメージと結びついたりして)ギャルの切ない恋愛を歌うのと比べても、その核は概ね変わらない。変わるのは楽曲のイメージを具体化する細々とした要素。そこに包括される形で用いられるサウンドにも違いが出ている。

そういう目ではのっぺらぼうのように見え聞こえてしまうのは事実。とはいえでこの曲では「疲れたみたい」という歌詞に何やら歌謡曲的言葉遣いの匂いがして引っかかった。「疲れた」という自分の状態を「みたい」という、婉曲しながら断定する助動詞をくっつけて、どこか他人事のようにぼんやりと歌う風景は松山千春「恋」(1980)森進一「悲しいけれど」(1987)とかに出てくるものの、以降のJPOPにはほとんど登場しない。もちろん最近ではキマグレンでも言葉自体は入っているので、たまたまの可能性の方が大きいけれども。

それにしても「疲れたみたい/今年の夏もまた一人」とか、最近のJPOPの歌詞、草をはむような及び腰のものが多すぎるような気が。

(小林 翔)


2013/08/09

サマラバ/シド




ヴィジュアル系の中に生き残る90年代


今年活動10周年となるシドのシングル『サマラバ』。いわゆるヴィジュアル系バンドとしてデビュー後、メイク自体は薄くなってはきているけれども、元々のイメージをある程度保ったまま活動してきた印象。ヴィジュアル系、というジャンルはグラムロックとかと同じようにバンドのヴィジュアルに定義が偏っているので音楽的には(ゴシック的な雰囲気を持つV系のバンドが多いにしろ)多種多様で、独特のフリを踊るファンとのライブも含め、今ではアイドルと並べて捉えられることも少なくない。

『サマラバ』は爽やかで夏らしいギターのイントロ、跳ねるようなギター・カッティングの裏で何層にも重なるギターやトランペット的な音色のシンセによるメロ、そこから四つ打ちのサビへと展開していくとにかく賑やかな曲。沢山の音を同時に並べながら組み立て、そこに直球で開放感のあるボーカルを乗せて一気にポップスとしてまとめてしまう。シドのこうした音や感覚は好きなミュージシャンとして黒夢やBOOWY、LUNA SEA、B'zといったバンドを挙げている通り、90年代の歌謡曲・JPOPに直接接続しているものと言っていいだろう。2000年代以降、R&B、ヒップホップといったビートが先行する曲が増えた中で(それでも売れるのはメロディアスな要素を持つものではあったが)数を減らしていた90年代JPOPはヴィジュアル系やアイドル、アニソンへと姿を変えて今に至っているのではないかと妄想をする。





大人になった?V系バンド


カッティング・ギター、スラップベース、ホーンにストリングスをフィーチャーしたディスコ・ロック・サウンド。ただ、基本的には抜き差しを含めたコードの展開と歌、BPMの早いディスコビートが曲を牽引していて、カッティング・ギターにせよスラップ・ベースにせよ、その用法は曲の根幹というよりは飾り。歌謡曲をベースに、モダン・ロックやディスコのアレンジを取り入れた、日本的ミクスチャー・ポップという印象かな。

そんな感じで、トラックにはほとんどV系の要素は残ってないのだけど、ヴォーカルの喉から絞り出すような歌い方には、まだV系の要素が残っている。でも、そもそもV系ヴォーカルのあの特有の声って、青年期に感じる居心地の悪さと、その反動としてのポージングの象徴だと思うんだけど、恋人と出掛ける夏の海で、いつもと違うシチュエーションに、改めて惚れなおしたわ。みたいな光景を描いた本作の中で、主人公が何に違和感を感じてるのか?というか、果たして違和感を感じてるのか?正直よく分からない。

様式美。と言われるとそれまでなんだけど、僕は様式に意味を求める分、様式美には全然興味がない。ディテールにこそ作家の本質が表れると思う。青年が大人になるのは当然で、それは全然悪いことではないのだから、もういっそのこと全部変えてしまって、もっと大文字のポップへと振り切ってもいい。よく「V系のバンドは成功すると次第に化粧が薄くなる(=既存のファンを切っていく)」と言われるけど、ファンよりも芸術に誠実でいるってのは素晴らしいことじゃないか。



2013/08/02

笑顔/いきものがかり



主題歌仕様のいきものがかり


いきものがかり『笑顔』は6thアルバム『I』に先行する形で発売された今年2枚目のシングル。ミディアム・テンポ、どこか切なく歌い映えするメロディー、ポケモンの劇場版の主題歌のタイアップがついている通りの「主題歌仕様」のいきものがかりが聞ける曲。ゼロ年代後半からJ-POPシーンを継続的に支え、様々なタイアップを経験してきた余裕みたいなものが「笑顔」にも見て取れる。

フックするアコギのループとコードを刻むピアノ、ゆったりと響くストリングスがメインで引っ張る曲は癖がなく、親しみやすい。こうした曲の裏でも(音は小さいものの)エッジの効いたエレキギターの音がするのが特徴的。アッパーな曲の方が分かりやすいけれども、いきものがかりはスタンダードなアメリカのロックみたいなものを根底に持っているものの、そこに音色なりフレーズで遊びを差し挟みながら聴きやすいポップスとして提示している。そんなわけで彼彼女たちは実は器用なバンドでもあるが、その器用さが楽曲の力強くストレートなメロディー、軽やかさ、親しみやすさ(ポップスそのもの)に寄与しているところが面白い。そういった意味で『笑顔』はもちろん嫌味のない曲ではあるのだけれども、若干物足りない印象。今年発売したシングルでも『1 2 3〜恋がはじまる〜』は「CM仕様」で遊びのあるポップス。




力の抜けた、さりげない魅力


「日常の会話で使わない言葉は歌詞にも使わない方がいい」
今では疎遠になってしまった、学生時代の友人の言葉だ。10年近く(!)経つが、まだ印象に残っている。(彼も歌詞を書いていた。)恋人への思いとか、家族への感謝の言葉とか、そういう“大切な言葉”を、我々は普段の生活ではほとんど口にしない。では、どこで示すのかと言えば、まず第一に式典事であり、第二に歌の中で、だ。

そう。歌の中で、私たちは、普段気恥ずかしさゆえに口にできない感情を言葉にする。その是非はここでは問わないが、しかし、その友人の法にしたがえば、それは「しない方が良い」ことになる。もちろん芸の世界に絶対はないけど、いきものがかりのいくつかの楽曲の歌詞が、どうにも白々しく聴こえてしまうるのも紛れもない事実だ。それは、全ての音を等価に扱うために、全体的にのっぺりと聴こえてしまいがちな吉岡のヴォーカルにも少なからず原因があったと思う。

そんな風に感じていた人間にとって、本作で聴こえる彼女の歌は魅力的だ。少しコブシが効いていて、ミディアムテンポのバラードに合わせる歌としてはリズミックで、良い意味で身軽さがある。歌を支える演奏もいい。タメの効いたドラム、力の抜けたギター。いとも簡単にこういう完成度の高いポップスを作れてしまう、現在のバンドの抜けっぷりを感じる。この演奏と歌を伴えば、今まではどこか押しつけがましく感じていた彼らの言葉にも、「本当に自然な感情として湧いて来たのだろうな。いや、分かるぜ」という気持ちが芽生えそうになる。

そんな「さりげなさ」が魅力の曲に対し、これ見よがしなピアノやストリングスのアレンジは蛇足だろう。サビ終わりに「ドレミ~♪」と上昇して行くメロディも陳腐で過剰な装飾に感じる。(先ほどの素晴らしい歌も、後半の盛り上がりに向けて段々ノペっとして行く。残念。)もっと裸に近い状態のバンドを、音像に刻んで聴かせて欲しい。あんま期待はしてないけど。